五徳猫
鳥山石燕の『画図百器徒然袋』に尾が二つに分かれた猫又の姿として描かれており、【七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言ひしためしもあれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ】とある。『鳥山石燕画図百鬼夜行』の解説によれば、これは『徒然袋』にある『平家物語』の作者信濃前司行長にまつわる話と、室町期の土佐光信画『百鬼夜行絵巻』に描かれた五徳を頭に乗せた妖怪をモデルにしているという。行長は学識のある人物であったが、七徳の舞という唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、二つの徳を忘れてしまったために、「五徳の冠者」とあだ名を付けられてしまった。そのために世の中に嫌気をさし、隠れて生活するようになったという話である。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを乗せる台)を引っかけて創作された妖怪なのであろう。(妖怪事典 第5刷 P161)
あだ名をつけられて嫌気をさし隠れて暮らすようになるなんて学識のある人はナイーブなんですかね。
まぁこういう風に残ってる情報って色々そぎ落とされてるしそれだけじゃないんでしょうけど(笑)間違ってる可能性もありますしね。
土佐光信画『百鬼夜行絵巻』に描かれた五徳を頭に乗せた妖怪は猫の妖怪ではないらしいのですが、石燕はどうして猫にしたんでしょうねぇ?
お里版白澤は牛のような体と蹄(ひづめ)ではなく猫のような姿にしているのですが、それは白澤の性格がよく人の言葉を発し森羅万象に通じるというものだからです。
私にとっては知的な動物と言えば猫です。蹄で歩くと音がしそうだけど、はっと気付くとすぐそばにいたって感じです、知的って。