過日、浅香山稲荷神社に行ってきました。
大阪府堺市北区東浅香山町2丁9
翁の指摘で掘るというのは開口神社の金龍井も似たような伝説なんですが、よくあるんですかねぇ。
浅香って「浅からぬ香り」から来ているのか。
鹿の耳からモズが出てきたから百舌鳥耳原になったとは書いてるものの、じつは百舌鳥耳原が先にあったからエピソードが作られたんだろうっていうのもあるから逆かもしれんなぁとは思う。
やっぱり大和川もからんでくる。
ちょっと脱線して大和川
稲荷神社に着く前に大和川も行ったのですが、橋の下くぐってすぐのところにこのように。
やっぱり川の近くにあるんだなぁ。
「高倉大神」?あまり近づけなかった。
浅香山稲荷神社
浅香山稲荷神社に戻ります。
お狐様が。白福稲荷大神。
葛の葉神社程じゃないけど、けっこう狐さんいます。
本殿の裏(?)のぼったところ。
本殿の所は狐さんだけど、サブ的に狛犬さんもいたんですよ。
こちらが本殿です。よく狛犬さんがいるところには狐さんが。
「かなうお願いなら軽い」石がありますよ。
こちらは裏に行ったところ。狛犬さんがいます。
こちらも裏のところ。
たくさんの白蛇さんが。
全体的に石がきで少し高くなっています。
どうやらここは浅香山城跡らしいですね。大坂府全志などに記述があるようです。
由来にも「ここに城を築いて」とありますね。
狐塚があり大和川の工事が進まなかったとあるので、この塚に住まう狐に呼び名でもあれば妖怪だなぁと思いぐぐってみたのですが、それらしいことは見つからず。
(なにか御存じの方いらっしゃったら教えてください)
私以外にも気になった方のブログを発見。
浅香山稲荷神社 : 徒然なる記憶の記録
北向きに流れていたを、西向きに変えることを幕府は決定するのですが姫路や明石の藩まで借り出してつけかえ工事を行ったのです。
さて、この大和川、河口(西の端)から上流にさかのぼっていくとちょこっとカーブして南に曲がるところがあるのです。
その理由を、今日の授業で先生は”狐塚”があって、このあたりを掘っていたら手がしびれたり病気になったりタタリがあったから除けたんだ、と話していました。
ただね、これを狐塚とすると先生の言っていた話と合いません。
反対になっちゃうの、狐塚に向かって南に曲がってくることになるんだね。
でも、狐塚までくると東向きに曲がる。
もしかすると、もっと南に曲げていくはずが狐塚があったからストップして東に向けたんだろうか?
そのへんはもう、全然わかりません。
たしかに狐塚(浅香山稲荷神社)に向かって南に曲がっています。
もしかして奈良方面から妙国寺あたりを通って大阪湾に流すつもりだったんでしょうか??
堺不思議発見!